地元自慢、神戸というところ

姉が外資系の船会社に勤めていた。

そこで、よく交わされる会話がある。

「日本に住むなら何処が良い?」

その答で一番多かったのが「神戸」とのこ

とだった。

「神戸の人は、外人に対して、壁を持た

ない。」「し、なんだか、住みやすい」と

いう。

地相を考えると、北に山(六甲山)があり、

南に海(瀬戸内海)がある。

北が高ければ、南に向かう川が市内に何本

もあり、それに沿って町も道もつくられる。

いわゆる、四神相応の地。

それなら、瀬戸内海の本州側は、皆、そうなる。

でも、ポートアイランド六甲アイランド

明石海峡大橋は、それらについて、どんな

影響があるか?

素人ながら、ちょっと心配している。

明石海峡大橋を建てた時、巡り金神さんの

頭に、杭を打ったせいで、阪神大震災が起

きた。といったことを言う人がいた。

  小さい頃、海水浴の為に福井県に何年も続

けて行った。

毎朝、海岸に行く。すると、太陽の見える

南に、山がある。

理由はないのに、嫌だった。早く神戸に帰

りたかった。

大阪も苦手だった。東に山があると、何か

息が詰まった。

小さい頃から、人混みが苦手だったから

かもしれない。

大学時代は長崎に暮らした。

過去世でクリスチャンだったから、ここへ行く事になったのかもしれない。。

私は、過去世で何度もクリスチャンだった。

縁が深かったのだと思う。

クリスチャンは、辛い人生を送ることが多

いという人がいる。

長崎時代、テニスをしていた。

決して上手にならないのに。

私は、手首、足首が未発達で、10歳ぐらい

に骨分化が止まっている。

超低身長もこれからきているかも知れない。

だからごく普通の負荷にも耐えられない。

これでテニスをして上手くなる筈がなかった。

それなのに心血を注いだ。大好きだったから

勢い、辛い四年間だったことになる。

体育科だったから、余計そう思った。

長崎は原爆の地だ。寝ていて何度、金縛り

にあったか。

当時は、自分が、何かを受けていることす

ら知らなかった。

教師時代の約8年間は播州で働いた。

農地が多く、平坦で、何より山らしい山がなかった。

これが、寂しかった。寒風吹きすさぶ地だ

った。

山懐に抱かれるという暖かさがない。勿論、人心ではない。

教師をやめて、ドイツとフランスで数ヶ月

過ごした。

ワインもパンも美味しい。

でも、鎮守の森がない。

これが私には、とてつもなく辛かった。

  神戸に帰って来ると、ホッとした。

このホッとするというのが、地元ということだと思う。

元夫が時々、神戸に帰って来ることがあった。「ホッとするわあ。」

と繰り返し言っていた。

神戸らしい店がある。

トアロードのデリカテッセン

それはそれは味にうるさい元夫、息子が

いつ誘っても、否やがない。

神戸らしいお客さんがいる。

神戸大丸、地下のすき焼き屋、スギモト。

日本中のコーヒー好きが来る、「ダンケ」

六甲の寿司なら、彦六寿司。

元夫は、亡くなる直前にこれらの店を息子

達とくるりと回って、満喫して亡くなった。

心底、美味しい物が好きだったに違いない。

こんなに、素敵な瞬間を息子達と過ごした

なら、さっさと成仏したら、良かった。

それが出来ないのは、どういうわけか?

でも、美味しいもの好きは、不徳だという。

残念ながら、我が家はなかなかの不徳ピ

ーポーだ。

今週のお題を考えるというのは、面白い。

自分なら決して考え付かない話題に乗る。

結局、ブログは日記に似ているので、何時

も同じ所から、同じ物を観るようだ。

こうして、お題について、考えるのは

楽しい、苦しみと言える。