私は体操部でした。

中学生の時に帰宅部がいやだった。

なにかに熱中できていず、無所属感もある。

高校生になって、双子の片割れは 体操部に

決めたという。

それなら、と体操部にした。毎日、なんらかの運動が出来るのは楽しかった。

三年生になって少し体操部の成績があがり

初めての県大会に出場出来た。

すると、引退が遅れるせいで、受験勉強に

支障をきたしそうだった。

ところで、私達姉妹は、「ウチにはお金がない。だから、国立大なら行かせるが、私大

なら行かせない、働きなさい。」と言われていた。

姉もそういわれて、あの東大紛争の年に

見事に合格を果たしていた。

でも、私達姉妹は、姉のような「賢い子」

ではなかった。

まず、全国の国立大で、偏差値の低い所

を探した。体育科は予想外に偏差値は

低い。(今は違うかもしれません)

また、大学によっては入試科目が体育実技と

数学や、理系の科目とスイッチ出来た。

それでも、合格圏内にはない。

全然なかった。

こんななりふり構わぬやりかたをしてでも

大学に行きたかった。

不謹慎だとは思うけれど、大学で遊びたかった。

そんなとき県大会が来た。

顧問の先生に呼ばれた「大会は八月末、それまでは!勉強は無理。大会の次の日から、

受験勉強を開始しなさい。間に合うから。」

ほんまかいな!なんて思わなかった。

「なるほど。」と思った。

県大会は上位入賞などせず、無事引退出来

た。

それから、初めて受験勉強をした。

烈火の如くできれば良かったけれど、ま

あ一生懸命はした。

たまたま、体育実技のテストに高校時代

の体操と、中学生まで、習っていたダンス

(バレエ)で受験できたのが効を奏したのか、辛

くも合格出来た。

双子の姉は、私と違い、運動能力は格段

に高かった。体操部なのに、陸上競技部

の記録会にも頻繁に出掛けたりした。

彼女の特殊体育科入学は当然の感があっ

た。

姉二人と母は、運動会のリレーでゴール

前、ごぼう抜きの快挙に喝采を受けてい

た。

ところが、この高い運動能力を持つ姉

二人は教師にならず、一番、もっさりした

私が体育教師になった。

ところで、私は、ほんとうはカウンセラー

のような仕事に着きたかった。

精神科の医師のような。当然、学力は不足

気味。

でも、教師の毎日は、生徒に「どうしたん?」と聞き。お母さん方の悩みを聞くこ

との多い仕事だった。

あれ?この仕事は「聞く」仕事だった?

そう、やりたかった仕事だった!

この「今週のお題」を書き始めた時は、こん

なことに落ち着くとは思ってもいなかった。

テニスやスキーほど下手くそではなかった。

といって、話題になるほどの上手でもなか

った。

だから、「今週のお題」は侮れない。