ひふみよいむなやこことうと唱える訳

大祓の詞(おおはらえのことば)という、

祝詞がある。

6月30日や12月31日に神社で、半年や一年

のお祓いをしてくださる時の祝詞だ。

その祝詞の真ん中辺りに、

…天つ祝詞の太祝詞事を宣れ

此く宣らば、天津神は天の磐戸を押し拓き

て…と続く

(…天津祝詞の太祝詞事を祈りなさい。

このように、祈れば、天津神は、天の磐戸を

押し拓いて…)

この太祝詞事を宣れ    の後になんと言う詞

が入るのか、昔から、色々言われてきたら

しい。

ひふみよいむなやこと、とか、とおかみえみため、とか。

もちろん、私のような、素人が、考えて

解るか?と思う。

でも、大祓詞を唱える時に、太祝詞事を宣れの後に何も言わないことこそ おかしい。

私なりに考えたのは、ひふみよいむなやこと

だった。

(ひとふたみよいつむうななやあこことう)

(一二三四五六七八九十)ということもある。

龍神祝詞にも、十種の神宝の祓え詞にも、

この詞が出てくる。

だから  今は、何があっても、何時も

この、ひふみよいむなやここと、と唱えて

いる。

他のところでも、書いているけれど、お伊

勢さんでも、荒神さんでも、出雲大社でも。

だから、柏手も、十回打つ。

ホントに我流。

こんな我流が、神さんに対して赦される?

と思って、何度も、その都度、何処の神さんにも、お尋ねした。

毎回、「よい」と言われているので、

いつでも、どこでも、これで詣る。

   岩清水八幡宮さんに初めてお詣りした時、

「あー、その祝詞と柏手のことは、聞いて

いる。いいから、唱えなさい。」

と言われた。

一体、どこで、聞かはったの?誰に?

と思ったけど、それは聞かなかった。

 

日常でも、使っている。

  例えば、バスの中で、酷く子供に当たる

お母さんを見かけて、心が痛む事がある。

こんなときも「ひふみよいむなやこと」

と唱える。と、そのお母さんはフワッと

される。

テレビで、ウクライナが写っても唱える。

いわば、私の万能薬。

お腹が痛い時も、お買い物に行って、急に

何かの因縁を、拾って、どっと、しんどい

時も。

十種の神宝とは、「澳津鏡、邊津鏡、

八握の剱、生玉、足玉、死反玉、道反玉、

蛇比禮、蜂比禮、品品物比禮」

とあって、三種の神器ならぬ、十種の神器

がある事になる。

あと、七つは何処に行ったのか?

判らないけど、地球上の何処かに有るのか

も知れない。

 

  でも、私が、ひふみよいむなやここと、と

唱える時に、其処に現出している筈。

以前、鞄の中身という(今週のお題)に書いたことがある。

私の鞄の中身は、各種、龍神さんの方々が

おられる。

かてて加えて、この十種の神宝で、もう一杯になっている。

そして、キラッキラッ。

の、筈なんだけどね。