UFOを見た頃の疾風怒濤の日々

昔の人はよく狸や狐が化けた物に会った

と言う。

祖母は夜、通りできつねに会うと、人間に

化けていても、きつねの着物の柄は、私達

のものより、はっきり、くっきり見えるの

で、分かるのだといっていた。

最近は、そういうのは流行らない。

UFOなんかの方が流行っている。

UFOでも、背後にハイヤーセルフがおられるか、幽界の生物がいるかで、全然違うらしい。

 

私が見た時は、今、暮らしている家のベラ

ンダからだった。

空に、ネオンサインのようなキラキラが

またたいていた。

へぇー、空にネオンかぁ。

えっ?ウソ、ナイナイ。じゃあUFOだ。

例の鉤型の動きをしたりした。

それが、どっちか、私には判らない。

でも、それからは、写真でも、画像でも

そこだけ波動が違うので、UFOのものは

なんとなく解るようになった。

 

そう言えば、(UFOに出会う会)で、聞いた

ことだけど。

生の人参を習慣的に食べている人は、UFO

に会いやすいそう。

私は、小さい頃から、生の人参を刻んで

よくたべていた。

ほんとだったんだ。

 

当時は初めての子供が生まれたばかりな

のに、私が週に2~3回乳腺炎を起こして、

絶望的な毎日を過ごしていた時だった。

こうしたことは、二年以上も続いた。

私も息子も、ある意味 危機的な状況

にあったことは間違いない。

一番の問題は、私が危機的な状況にいる

ことに気付いていないことだった。

義理の父母はおらず、実母は、私の産後の養生にも、関心を示さなかった。

その後、息子は髄膜炎を起こして入院した。

あれがなかったら、親子共、どうなってい

たか、判らない。

ひょっとしたら、あのUFOは、私の絶望

的な状況に小さな後押しをしてくれたのか

も知れない。

それからも、私の子育ては、疾風怒濤の日

々を地で行くような毎日だった。

勿論どんな子育ても、苦労の無い事はない

と思う。

多分私が、母親として、何かと至らなかっ

たからだと思う。

今やっと、二人の子供はごく普通に暮らし

ている。それが、どんなに有り難いことか、

と思う。

 

これは、完全な私見だけれど、母が、四人

水子さんを持っていた。

でも、祀ることも全くせずにいた。

そのせいで、次々に、子供にまつわるトラ

ブルが起きたのだと思う。

長男が六年生の頃、ある人に言われて、母

水子さん達を祀るようになった。

それは、お仏壇に○○家の水子の霊位と

書いた御位牌を祀る。

毎日のお供えの時に、牛乳を供える。

お菓子を買った時も供えている。

それからは、一つまた一つといった具合に

子供の事は整っていった。

流産の子と、中絶の子は違うこともあるらしい。

私には判らない。

以前、水子さんについては、書いている。

 

ある方に、付いていた水子さんは戦争中

になくなったようで、うつ伏せのまま

なくなられた。

とても大きな男の子だった。

「なんでこんなことになっている?」

状況が判らずに、困っておられた。

 

ほんとに、戦争で、起きることは辛いこと

ばかり。

本来なら、とうに生まれ変わって良い筈な

のに、まだ、「判らない」というところで

止まったままだ。

 

勿論、私が、聞いたことは一応、その水子

さんを持っておられる方に、お伝えしたつ

もり。

でも、なかなか、伝わることはない。

しようがない、こうした時代なのだと思う。