メモ

いつも神さんの前や、色々なところで、何か

が入って来ても、例のごとく、すぐ忘れる。

だから、メモは絶対、欠かせない。

え~っと!あれなんでしたっけ?って

神さんに、もう一度聞いたこともある。

二回目でも、三回目でもちゃんと答えて

下さる。

 

でも、内容はおろか、聞いたことさえ 忘れもするので、やっぱりメモはいる。

 

文字にすると、次々と展開していき、思わぬ

反省をしなければならないことも、ある。

 

油断できん。

 

日常というのは、特に何かが起きるなんて

そうはない。

 

だから、昔の日記や、ちょっとしたメモはありがたい。

 

と、書いたので、10年前のメモを読んでみた。

当時は、母の介護の真っ最中。

今日、洗濯して、畳んだものが、洗濯機の

中に。

次の日、作った粕汁に、おたまじゃくし一杯のお塩が入っている。

それは、彼女の好物だから、作っていた。

勿論母は、沢山食べた後で。

 

私の携帯は 三度無くなった時に、諦めた。

毎日、毎日、カッカしていた。

 

これは、認知症だから、仕方ないとお思い

になるでしょうけれど。

MRIを受けた医師は「あんた、認知症

違うがな。けど、認知症を心配するなら

家事をしたら、良い。」

「家事は嫌いです。」

「え~っ、そんな返しは初めてや!」だった。

 

だけど、そうした出来事にも、メモには「さらさら流そう」なんて書いている。

 

あの頃は、毎日、さらさら流さないと

次の日のハプニングに立ち向かえなかった。

 

よく、生き方の本なんかに、

「今の自分を俯瞰してみよう!」

なんて書いてる。

 

それが出来りゃ苦労は無いのよ。

 

でも、十年経つと、あの頃の自分を俯瞰

出来る。

 

毎日起きる辛さや、腹立ちに対して、

まあ、逐一のサインを神様から

頂いている。

 

例えば、何時もの腹痛を起こして寝ている

私に、ミシンを投げつけ、「さっさと起きて、ご飯をつくれ」という母。

 

後足で砂をかける人に情を掛ける私は

アホやろと思ったけれど、

「それが神のやり方」といわれたり、

 

人類の生死について、さまで心が動かされなくなったことについて

「ようここまできたな、以前やったら、

ここまで来た人は、皆死んでいる」

とまで、いわれ、ちょっと有頂天になったり。

 

辛い時に頂いた、言葉は叉、ちょっと違う。

 

古いメモには、なんて沢山のプレゼント。

 

こんな時にこその、取って置きの

あ、り、が、と、う、ですね。

 

でもちょっと、あの頃の方がなんか

心掛け、良かったんちゃうの?

 

そう、良くなったり悪くなったり。

これって「アウフヘーベン」って奴?

 

面白いなあ。こんなとこで、こんな言葉が

降ってくる。

さすが過去世、ドイツ人。

アウフヘーベンは日本語で止揚

んー、アウフヘーベンの方がカッコいい。

 

なんて、余裕、こいとったら、

お腹が痛い。

 

やっぱり、今週のお題は、油断大敵。