今日は午の日で、お稲荷さんに

お稲荷さんに、例のアミエビの稲荷餅を

お持ちした。

持って行く用意をしていると、

「今年もこれ、持ってきてくれたんかぁ!」

と、お稲荷さんに、言われた。

エーッ?、もう、来年のこと言うてはる。

 

てことは、私は来年もお持ちするってこと?

なんて、気の早い。

 

以前、別のお稲荷さんにお酒とおあげさんと

おはぎを初午の日に、お持ちした。

 

其の時、息子に言わせると「お稲荷さん達、大喜び。飲めや歌えの大騒ぎ」だったそう。

 

今日も、両手を上げて、踊っておられたから

前回のように、お喜びくたさったのかも。

今年最後の午の日だから、納め稲荷の、ご挨拶ができたと思う。

 

そう言えば、息子は、お稲荷さん系と書いたけれど、私も、そうだった。

 

石切さんにおられるお稲荷さんか白沢さんは

有史以来の友達だった。

以前、石切さんの奥宮でご祈祷を受けていた時、私の首元をヌラリと白い長いしっぽが巻き付いた。

私は、めったに、見えたり聴こえたりはしないけど、触られたら判る。

今はあのお方とは、ちょっと切れている。

 

こうした自然霊とのシンパシーが、昔あったらしい。

 

稲荷餅はあみえび入り、バター添え

おでんに、稲荷もちは、是非ものといっていい。

煮込む前に、その稲荷餅に、あみえびを一緒に入れる。

味が染みて、食べ頃になったら、取り出して

2センチ角(もっと大きくても)のバターを

載せて、頂く。

バターとお餅、あみえびとバターの相性が

抜群。

もし、この時、胃に負担がー!と言う人は

お大根も一緒に、煮込んで召し上がると

消化を助けてもらえる。

 

どちらかといえば、背徳系。

カロリーもこれでもかー。

だけど、お餅も海老もお稲荷さんも開運系。

これを、お稲荷さんの日(2月11日とか午の日。今月なら12月26日)とかに食べたら、

運気上がりそう!

召し上がるときに、「お稲荷さん、ありがとう。」なんて、おっしゃると、ご縁のあるお稲荷さんが、耳をピクッてなさってお喜びくださるかも。

 

先日、息子と氏神さんのお稲荷さんに詣った。

息子はお稲荷さん系の人間。

だからか、その時、「狐さんがお社の周りをピョンピョン跳ねてお社の周りをぐるぐる廻ってはった。」そう。

ん?だけど、なぜ?わからん。

息子に聞いても「知らん❗️」らしい。

 

家での食事時にも、お呼びしたら、一緒に召し上がって、頂けるかしら?

横着せんと、今度神社に、お持ちしようかと思う。

きっと、絶対お喜びくださる筈。

問題は、向こうに着く頃に冷めてしまうこと。あー、ホカロンでいけるかな?

 

今週のお題は、こんな時に

「だから、えーやんけ」と思う。

ねー。お稲荷さん!

 

私は阿保や、続編

昔、近くの海星病院におられた眼科の山中先生が、言っておられた。

「こんな年末や正月に、病院に来て、仕事をしてるわしは、あほやで。」

 

近所の方が、果実酒を、一升瓶で浸けていた。

長く放置していたので、年末に片付けようと開けた時、爆発したそう。

目にも刺さったので、山中先生が診てくださった。

「ここに来て、良かったで、他所に行ったら、失明したとこやった」と言われたそう。

 

山中先生は有名な眼科医だった。

 

これから年末でキッチンの片付けをなさると思う。長く開けていない瓶は、くれぐれもお気をお付け遊ばせ。

バスタオルを、掛けるとかなさると、少しは安全かもしれない。

 

あれ程、偉い方と肩を並べることは出来ないけど、急に思い出した。

懐かしかったので、書いてしまった。

私は阿保や、けど、この阿保が治らんがお題

あるイベントで、見えない方が、友人に付いて来た。

自死されたのか、とても困っておられる。

 

自死されると、長い痛みに苛まれると桜井識子さんが、おっしゃっている。

この友人にあって以来、一日2回の自宅での浄め詣りが、欠かせなくなった。

しなければ、お腹が痛くなる。

 

ほんとうなら、その友人が荒神さんに行ってくれたら良いのだけど、そうもいかないらしい。

 

こう何度も、浄め詣りをさせられるのは、しんどい。

こう言っては、なんだけど、この方は、どうも、ちっと聞き分けがない。それ程、お苦しみと言うことかもしれない。

思いきって荒神さんに、お詣りをすることにした。

亡き元夫なら「よかったやん、行く言い訳が出来た」といいそう。

 

確かに、そういうところもある。

何をきっかけにしても、あの美しい清らかな世界に行けることは、確かに無上の喜び。

 

だけど、今は家中の荷物を大運動会している。

 

自分でクロス張りもしようと思い立った。

なのに、荒神さんに行く。

ただ清らかなあそこに行くだけじゃない。

沢山の方をお連れしたらしい。

こういう時の、お詣りは、叉別。

もう、へとへと、くたくた、になる。

 

そんな他人の事、捨て置いたら良いと思う。

(ほんまに「私はあほや」と。

ところが、また、このあほが治らん。)

これが、このところのマイ流行語で、今週のお題

 

でも、今晩のお風呂の神さんが、

『だからな、この事は、値打ちあることなんや。

他人事と思うてみても、せっせと、荒神さんに、お繋ぎをしたらな。

あとで、わかるで。

こうしたことが、皆、実をむすぶからな。』

ですって。

 

実際のところ、中々、自分の生活が、ちゃっちゃといかない。

焦れる事もある。

 

でも、以前、自死された方のお清めのとき、何代か前の方も来られた事があった。

どこかで止めないと、何代も続く事があるらしい。

 

お一人をお連れするつもりでも、何人も何十人も来られるらしい。

 

よく、自死は、アカンと言う。

ほんとにそう。

自分の子孫が自分のせいで、何十人も自死

ることになるなんて、ほんとあかんでしょう。

こんな辛い人生のどこかで、弘法大師さんに

お逢い出来たら、きっと救われるよね。

お大師さんだけじゃなくて、なんかこう

親身になってくれる人に。

 

だから、あれか、どんなに小さな徳でも、積みなはれ!

それは、積もり積もって、ブーメラン救世主にあえるとか?

 

まあ、なんし、自死だけは止めときましょね。

じゃあ、苦しくて苦しい時は、どうする?

問題、それよ。

お委せにする。神さんに

 

そんな離れ業が出来たら、

自死なんかするかー!

 

そう、そうなんだよね。

ちょっと待って!

こんな難しい問題は、あかん。

大体、難しすぎるやろ!

そう、こんなん分かったら、地球は、一発平和だ。

今の私なら、何処かの神さんに「助けてー」

って、行く。

でも、世の中は、神さん好きばかりじゃない。

やっても死なない自殺の名所があったらなあ。

そんなとこには、誰も行かん。

結局、だから、私は阿保になって阿保が治らんまま

生きていくことにしてる。

これが、今週のお題。で、やっぱり私の一生のお題。

 

出雲大社に居られる野見宿禰さん

テレビで(逆転)にまつわる何かをしていた。

少年相撲で、非常な体格差の取り組みがあった。

 

小さい方のお子さんが勝った。

この事を、お風呂で思い出した。

とたんに、野見宿禰さんが、おいでになって

非常なおよろこびだった。

 

私は相撲の事が、良くわからない。

それでも、魂が震える程、美しい勝負を

見たと思った。

出雲大社に、野見宿禰さんが奉られている。

ここにお詣りをすると、有り難くて、涙が止まらない。

なぜかは、さっぱりわからない。

この時の、ご縁でこの日に、我が家のお風呂に来られた。

野見宿禰さんは、きっと、この一生懸命の

少年たちが、大好きなんだろうなあ!と思った。

 

 

昨夜のお風呂は 香水のフェアリー

夕べは疲れていたので、昔、好きで集めていた香水を浴槽の壁に吹いた。

 

とたんに、お風呂には、お花達のフェアリーさんが、何人か飛んでいた。

 

香水は、年を取ると使わなくなるけれど

こんな使い方ができる。

 

トイレやお風呂の水回りで、何かのサジェスチョンを聞くことは、良くあるけど、洗面所は、水回りなのに、何故、聞かないんだろう?

 

今度聞いて見よう。

役目が違うそう。

 

 

 

 

貴方を害する人

ここ15年ほど、何かと、大小のトラブルに見舞われている。

このことで、最近 気付いたことは、この人たちは、私の幸せに、手を貸す事しかできないと言うこと。

 

例えば、私が大事に育てている木や花に除草剤を掛けられたり、機械類が壊されたり。

 

でも、私は、お花に夢中になりすぎる。

そのせいで、あとで、寝込んだりする。

その機械が壊れたお陰で、一新した。

余分な経費も掛からなくなった。

 

確かに、何もかも失って、生きていく希望も持てないかもしれない。

 

でも、桜井識子さんが、言わはるように、

不幸の、底払いになって、後は良くなるばかり、になっているとか?

 

例えば、子供を亡くされたとする。

これほどの悲しみは、絶対ない。

 

でも天使霊の方々は、子供として亡くなる、と決めて産まれてくるという。

しかも、親世代の因縁を背負ってあの世にいってくれる。

或は、親に寿命を授けるために、わざわざ

降りてくれていた方達だから。

 

何でもかんでも、良いように考え過ぎ?

 

私も、やられた時は、ほんと腹が立った。

でも、よく考えてみたら、そう。

「あいらは、私の幸せに手を貸す事しか、できん。」と、呪文を唱えるように、

毎日、繰り返している。

 

貴方を 害するように見えて、実は神の御手だった。

 

なにがやねん!と思いはるよね。

辛すぎる現実は。

 

私も 熱があって寝ているところに、母がミシンを投げつけてきた時は もうビックリした。

でも、怒る元気もないので、それが

良かった。と思った。

これが元気だったら、きっと腹がたつよねえ、と。

しかも、買ったばかりの布団だったので痛くも痒くもなかった。

 

あの時の事で、母の寿命は、数年減った。

暴力は振るわれるより振るった方が傷付く。

 

ある知人が、十代の頃、人を刺したことがあったと言う。

 

あの時の事は、どうしても忘れることが出来ないと言った。

どんな細かいことまで覚えていて、50年経った今でも、この手の感触が離れてくれん。と言った。

 

私は何時もこれを言うので、耳にタコだとは思うけど、天網恢恢疎にして漏らさず。

鉄槌は下されて、遣られた方が、暴力で仕返さない限り、神の御手による大団円が待ち受ける。

 

そう思って、そう思い込んで、

生きている。