ドイツの居酒屋で

その年の新酒(ホイリゲ)を飲みに行った。

私が体育出身とわかっていたので、ちょっと

踊って、という、

ちょっと踊ると、えっ、教えて!

ちょっと教えると、隣のテーブルの人も

教えて!

で、あっという間に、その大きな、百人程

の、居酒屋、全館がクラブのように。

ドイツの人は日本人より、ずっとノリがいい

 

もう、大騒ぎになった。

「ここでは、よくこんなふうになるの?」

ツアーガイドに聞いた。

「とんでもない!初めてよ!」

二時間も踊って、お開きになった。

 

知らない叔父さんが来て、「君は何処から

来た?名前は?僕はイタリヤから、名前は

マリオ」そして、「素敵だ!」

でキス。

私の初キスは、イタリヤの知らんオッサン。

サイテー。

 

お米の磨ぎ汁は花壇に

どんなお水でも、洗剤が入ってなければ

一滴でも、むだに流したくない。

お米の磨ぎ汁も、流しに流したくない。

そこで、花壇に撒く。

この事を、大学の農学部の先生に話した。

「花壇の為にならない。油脂が悪さをする」

と。

でも、撒いた翌日、その地面をみると、きれいに、誰かが ラッセルをしてくれ

ている。

はじめは、ミミズがするのかと思いきや、

たくさんの団子虫がきて、馴らしてくれてい

た。

 

これで、花壇の為に悪いと思えない。

今だから、話せること

五年前に亡くなった元夫は、若い頃、スイス

から、バックパッカーとして、中東、インド

ネパール、インドシナ半島を旅したそう。

27才なら、厄年だったかもしれない。

 

それこそ、これは、今しか話せないこと

だと思うけれど、当時、イラン(イラク?)

あたりでは、大きな道路に駐車している

車はドラッグを売っていたそう。

試してみた、という。

まあ、サイケデリックな世界らしく、将に

ぶっ飛ぶとはこういうことだと。

でも、同時に、なんと怖い世界かとも思ったそう。

二度と脚を踏み入れたくない、とも言った。

 

ムスリム寺院のコーランの声も忘れられな

い事の一つだったという。

とても、気持ちの良い時間だったという。

 

アッシジのグリゴリオ聖歌も好きだったと

言った。

 

インドでは、葬列に加わって歩き、派手に

躍り回ったという。

すると何故か、土地の人が何十人も来て同

じように、踊り出す。

舞い踊るのは、人だけじゃない、お金も舞

っているらしい。

葬列がおわると、喪主から、両手一杯の、

お金がもらえたという。

「あんたのお陰だ」と言うわけだ。

 

ネパールでは、重い病気になった。

150cmそこそこで、体重は43kgだったのが、35kgになり人相まで変わったという。

死線を彷徨ったということらしい、

よく、帰りの税関が通ったものだと不思議

だったと言っていた。

 

彼は両親が居らず、中卒だったので、日本

での狭い価値観に、なんとなく縛られてい

た。

世界を観たことで、全く違う価値観に触れ

たことは、自分を小さく見る必要も大きく

見せることも無い事が、わかったと言って

いた。

 

今週のお題のお陰で、ひょっとしたら元夫

の追悼が出来たかも。

彼については、いつも悪口ばかりだった。

ごめんあそばせ。

亡くなって、五年も経ったら、祝福も

しないとね。

ありがとう😃🖖

(因みに、🖖はスタートレックのバルカン星人の、Live long and prosper   長命と繁栄を!という挨拶です。)

 

薔薇のお世話

昔、薔薇を育てていた。

品種にもよるでしょうが、とにかく、あの子

には、文句ばかり言われていた気がする。

やれ、肥料が足らん、で葉が落ちる。

水が切れたで、花が萎れる。

勿論、薔薇は大好きだけど、そんなに

手の掛かるのはちょっと。

そこで、株元に少し離して、大豆を幾つか

埋めておいた。

1年経って、食べるにはもう固いと分かっていた豆だった。

なんと、その年に、ばらが、葉を落とすこともないし、花が萎れることもなく、いつも

機嫌良くしていた。

どうやら、豆の根粒菌が、薔薇のお世話を

してくれたらしい。

それからは、極力あの子のそばには、マメ科

を植えることにしている。

クレマチスを合わせるなんて聞くけど、

両方、肥料食いじゃないの?と思う。

私は、超素人だからほんとの所はわからない

 

ビオラやパンジーが場所や土が合うと

大株に育つ。

でも、そんな時、猫が一晩座るか寝ると

とたんに全部枯れる。

きっといい匂いに引かれるのだと思う。

こんなときは、昔ながらのノースポール

をパンジービオラに混ぜて植える。

ノースポールは見た目よりずっとチクチク

と痛いので、猫は来ない。

猫避けはこれがいい。

 

 

 

神棚のお酒

毎朝、神棚に供えるお酒について、

神さんやったら、一滴でもいいのかな?

と思った。

薫りが建たないとだめかな?

神さんはその薫り一滴でも分かりはる筈。

「所詮、この世のことに使うのだから

この世的にしないと」らしい。

神さまはお酒をお飲みになるのではなく、

お使いになると聞いたことがある。

結局、一滴では、あかん。

今日からおおつち、なのに

今日からおおつちでたいらなのに

生ゴミを 花壇に埋めた。

わかってたのに。

しばらくして、お腹が痛い。

えーっ?今日なんか因縁を拾うようなこと、

あー。

わかってたのに、どうしても燃えるゴミに

出すと、地球が暖かくなる。

 

でも、おおつちの日は、土地の気が動く

から、土を触ったらだめ。

 

失敗。

 

掘った所に、お酒を撒いて、謝った。

 

あほやからなあ。

 

鍼灸もだめだ。

仕様がない、守らんと。

 

 

私がとらわれていた、しなきゃ

夫孝行は、しなきゃいけない。

身体の弱い人も大事に、しなきゃいけない。

この結果、起きた事は、植木に水を遣り過

ぎたように、根腐れを起こした。

私は、過去世でも、この人に、尽くし過ぎた

 

一体、何度やれば、判るのか!

私よ!

過去世に優しい妻を持たなかった反動か?

無償の愛、とやらに憧れたのか?

 

本人が健康に成りたければ、最初に少し

手を貸せば、後は自分で出来た筈。

 

幼少期に、愛情を得られなかったのは、

案外、彼に酷薄なところがあつたから。

私は私なりに尽くしたつもり。

でも、愛情への尽きせぬ執着は止まず、

亡くなる瞬間にさえ、愛情を浮け取る事に

終始した。

 

「えーかげんにせえよ!(低音で)」と

言えなきゃ!

 

同じことは、母にもいえた。

 

結局、これが、わたしの今生のテーマと思う。

 

例えば、これは、亡くなった人にも言える

今度、荒神さんに、一緒に行こうと思って

いる方々。

都賀川に居られるのが、その方達の選択な

らば、それでいい。

荒神さんに伺いたければ、一瞬でご自分で

行ける筈。

 

私は、いつもお節介。

勿論、何事も、先達のあらまほしきことで

はあるだろうけど。

 

つまり、私に、余裕があればか?

ん?すり替えた?

優先順位を考えるべきなのか?

 

つまりここだ、わたしが常に朝夕

「世の為、人の為に尽くさしめたまえと

畏み畏みも申す」

を唱えている限りここへ帰ってくる。

 

ある程度はしようがない。

でも、泥棒に追い銭までするのはあかん。

 

難しいなあ。

 

今週のお題は難しすぎる。

えーかげんにしてや!

えーかげんに、するのはわたしかも。