戦時中に贅沢をした祖母
祖母の耳は福耳で、歩くとゆっさゆっさ
揺れるほどだった。
朝晩欠かさず、すぐ裏山の、鷹取さんに窓
からお詣りをしていたそう。
ある時、知らないお爺さんに呼び止められ
て、「あんたさんには、鷹取さんが付いと
ってでっせ。また、えー福耳でんな。」
と言われたそう。
その祖母は、戦時中、ドイツ領事館で、パ
ートをしていた。
ドイツ領事館では、よくパーティがあった。
当然、沢山の食べ物が余るので、いつも、
頂けた。
何種類ものパン、ケーキはおろか、ハム、
ソーセージ、バター、生クリーム、ダンプリングとミートボールのスープ。特にバターは秀逸だったようで、発酵系の香りを今でも思い出すと言っていた。
余り何度も頂くので、周りの人に差し上げ
た。本当に喜ばれたそう。
「でも、ナチスドイツでしょ!恐くなかっ
たの?」
「そんなこと何もなかった」そう
戦後は父が将校だったので、退職金が貰え
たらしい。
貨車三台分の食糧、衣類だった。
「けど、そんなに食べられへん」かった
そうで、皆さんに差し上げたら、やっぱり
喜んで頂けたという。
父は歩兵で、従軍したものの、勉強をして
将校になれたという。
祖母は、この時のことで、悔いていた。
「私は、アホやから。何であれをお金に
しなかったのか?」
でも、こういう人だから、こうしたもの
は降りてきたのじゃないかと思う。
あんな、皆さんが困っておられる時にお
金にしてどうなん?と思う。
祖母は、お腹がすいたことは一度もないけ
れど、戦時中は、「あんこが食べたかった。
ドイツさんはあんこ、饅頭はくれない。
どうでも食べたかった。
思い余って枕にしていた小豆を炊いた。
お砂糖はドイツさんがいくらでもくれたか
ら。でも、食べられたもんじゃない。
枕の小豆は食べられん。」と言っていた。
このことは、以前書いた気がする。
なんといっても、残念なのは、私が、福耳じゃないこと。