家庭訪問は 決死の自転車

私が二度目に赴任したのは、長閑な田舎町。

4月始めに 家庭訪問 がある。

私は車に、乗れなかった。

自転車にも。

といって歩いて回れるような小さな校区ではない。

 

それまで、数回、自転車の練習はしたものの

テニス部の女子達に教えて貰って、乗れるようになったのは、家庭訪問開始の前々日。

 

ところが、自転車というもの、止まる度に

ひどい目に遭う。

ダーッと倒れこんで、痛いのなんの。

 

帰校して、教頭先生に「自転車って、どうも、痛い乗り物ですよね。」

「えっ?あんた、ブレーキは?」

「なにそれ?」

「ハンドルの下に付いとるがな!」

「へーっ」

「あんた、大丈夫かいな?」

 

次の日、案内してくれる生徒は、ツィーと

信号を曲がる。

おっと、こちとら自転車の仮免も通過していない。

やっと曲がったものの、反対車線の信号待ち

の車のボンネットに、わたしの身体がバンと乗りかかる。

 

と、ウィーンと窓が開く。

「○○さーん、気ぃつけやぁ!大丈夫かいな?」同僚の先生だ。

「うー、ボチボチ」

 

次の日は、国道を凄いスピードで駆け抜ける

生徒。

前に回って言う「先生!顔色悪いで!」

「ふん!こっちは、命懸けとんねん!」

ぐらい、言い返したかった。

でも、国道は、横をトラックがバンバン

通って行く。

 

2、3日して、誰かが、教頭先生に言ってくれる。

あんな男乗りの自転車はやめたら!

ママチャリも、あるやろうに。

 

ママチャリはもう少し

乗りやすかった。

 

当時の教職は3kの極致だった。

それでも、命懸けの一週間は過ぎる。

なんとか死なずに終えた。