何度も死にかけたので、弘法大師、誕生会(6月15日)

土曜日に、ちょっとあったので、どうしても

荒神さんに行きたかった。

何時ものように生きるか死ぬか。だったらよかった。

命が何個あっても足らん、そんな感じ。

 

でも、なんとかヘッジして、今日にこぎ着けた。

行こうと思ってカレンダーを見ると、今日は

お大師さんの誕生会。

 

こりゃあ、嬉しい。

家事をして 荒神さんに着いたのが13時。

本殿では、いつもの荒神経をあげる。

 

大師堂では、お大師さんが明るく、光って

居られる。

実は清澄寺さんでは、6月11日に誕生会を

されたそう。

 

でも、大師堂のお大師さんは、今日、

ここに降りて来られている。

「今日は、ずっと、居られるんですね。」

「あんたみたいな人が、来るからね。

今、内輪でお祀り、しとったとこや。

まあ、お入り。」

ですって!

 

まあ、ここで、ありがとうございます。が言えたら、良かった。

のに、言えず。

 

そして、愚痴は忘れない。

「大変だった。何遍も死ぬとこ。」

「あの時も、ちゃんと見守っていた。」そう

 

そっか。あんなに怖がらなくてもよかったんだ。

 

でも、何故、こんなことになったか!を考えた。

身体で受けるような、つまり、後手に回った

ことについて。

このところ、ついつい、忙しく、自分の事に、かまけた。

 

今度からは、大丈夫?と思う事があれば

翔んで行こう。

 

お滝では、あの滝行をしているつもり。

滝の水音も十分な、水量も。

だから、みそぎも、バッチリ。

 

この後、修行大師さんのところでは

一瞬で、それはそれは高い所まで、連れていって!貰えた。

 

数日後に、この時のことを 思い出した。

こんな瞬間に出会えるなら、どんなことがあっても、平気❗️

 

有り難すぎて、数日後なのに、

"なにごとの、おわしますかは 知らねども かたじけなさに、涙、こぼるる。“(西行さんの短歌?)を思い出した。

 

もう完璧、鉄壁、のお詣りだった。

毎年、六月、七月、八月は、何かと引決(いんけつ)で最低の運気。

なのに、お詣りは又、違うよう。

 

来年も、六月十五日は、出来れば、必ず

荒神さんに伺いたい。

 

ここは、ほんと、残念なところだけど、そのご利益については、わからない、