一昨日は、旧暦の八朔だった。

朝、一番で、出たかったけど、結局、清荒神さんに  着いたのは午前七時半だった。

この時間は参道の露店も、開けていない。

お賽銭に、両替が、必要なのに。

  出雲さんでは、硬貨のお賽銭はあまり  良くないようで、小銭しかない時は「小銭で、すみません」といって、供える。

せっかくの、満を持しての八朔まいりなのに

すみませんと供えるのは、勿体ないと思った。

参道を登っていくと、何時もの、お花屋さんが開けている。「いやー、良かったわあ。」「今日は急にお花が、大量に入って。早く来たの。」「いやー、ありがとう。お花が、買えるのもうれしいし、両替も。」

荒神さんの  お地蔵さんには  お花を供える。

「実は、出雲さんではさ。お賽銭は.」から始まり

私の元夫、知り合いの夫は職場での、人間関係に、もう、40年悩んでいた。それが、旧暦の神無月に出雲さんにいって、起死回生の手が打てた。それで、その効力は一生続くんだよ。

私も去年、行って、あれほど、寝付いてばっかりだったのに、今は、寝付いても、せいぜい1,2日で、起き上がれてる。」なんて

出雲さんの、営業をひとくさり。

私は、毎日の生活の中で、神さんの営業をするのが  一番好き。

境内に入ると、黄色の袈裟を着た、お坊様に会った。

荒神さんで、黄色の袈裟のお坊様に会うのは

吉兆です。やったー。

本殿では、八朔だからか、読経が始まる。

やったー、鉦も太鼓も、聴けた。

お地蔵様のお祈りが、とにかく美しい金色だった。陶然となる。

龍神様の坂のところで、黒い蜻蛉が、私の直ぐ傍に来る。振り返ったら、もう一度来てくれた。やったー。神社で、蜻蛉は吉兆だそう。大師堂のところで、朝、8時の鐘もきけた。荒神さんにお参りの時に、あの鐘を聴くと、無条件で、スーッと高い高いところに連れて行ってもらえる。やった。

ウンの狛犬さんでのお祈りでも、金色キラキラだった。やったー。

やったー、ばっかりのお詣り、嬉しかったあ。

  で、帰りの車の中で、背中が、痛い。

それも、けっこうな痛み。

車の運転が どれだけ辛い。

もう、いやだ。なんでこうなる?

帰宅後も、痛む。

息子が言う。いっつも、そう言ってる。

  これは、数日前から来てる、生きてる方の

因縁で、家の盛り塩とお茶供養とアルコールで凌ぐしかない。

家に盛り塩をしただけで、痛みが止まる訳ない。とお思いになると、お思う。

この世的なことが  原因なら  その通り。

でも、霊的な事が 原因ならずいぶん軽減する。お茶供養で、9割取れる。

でも、あんなに良いお詣りやったやん。

と文句を言いたいところ。

でもしようがない。これも私が死んだら無くなる悩みかも。

死ぬ時の楽しみに、取っておきまっさ。

このことは、友人で、病気に苦しむ方を、なんとかして差し上げたかった。

でも、それは私の傲慢だった。

せっかくの修行のチャンスなのに、邪魔をしてはいけないそう。

でも、遠くから祈ることは赦されている。

その方とご家族の方々について、祈った。