人の亡くなり方について

この事について  書くのはとても勇気が

いる。

ここ半年以内に地震で亡くなった方々と

ご縁があった。また、原爆で亡くなった

方々ともご縁があった。どちらの方々共

に本当に  成仏なさるのが大変だった。

以前、病院で亡くなってもこの世や、病

院におられる方が沢山居られると書いた

事がある。

でも、例えば、震災や事故で亡くなると、

突然、死ぬ事になる。病院や自宅療養の

後亡くなると、いわゆる昏睡や

ただの病気による睡眠でこの世とあの世

を何度も何度も往き来して、波動調整を

する。だから、練習を充分積むことが、

出来る。それでも、向こうへ逝かれない

方がおられるというのに突然亡くなると、

その練習が出来ない。

だからどうしてもそこに、留まってしまう。

勢い、成仏は遅れる。

ピンピンコロリ。といって、昨日まで元気

だったのに、翌朝はなくなっている。

というのは、良いのか悪いのか?

家族に迷惑を掛けたくない。としても

亡くなった後の自分の身の振り方はもっと

大事。

自分が病みこけした時にどう毎日を作るか

について、考えておくことは大事だろうと

思う。

同時に自分が死んだ際、行くべきところ

にさっと行くにはどうすれば良いか?

まず、自分が亡くなった事が判って

死んだ後、あの世が在る事がわかっている。

ここが、とても大事。

亡くなった後、行くところがあって、

迷うことなどないとわかっていれば死ぬ

こと事態が、怖くない。

そしてまた、あの光で一杯のあそこと

わかっていれば尚更そう。

もう一つ、生前の生き方がその亡くなり方

に影響を及ぼす。

そのひとが世のため人の為に生きたか、

我が我がで生きてしまったのか。

神仏や大いなる存在に、畏敬を持って生き

たか?自他の神性を信認して来たか?

死後もまた、これらの観念がその進む先を

決定する。

例えば、自分しか大事じゃない生き方を

していた人は自分しか大事じゃない人達

のところにしか行けない。

昔、地震が起きると「世直しやあ。

世直しやでえ。」と叫んで歩くお婆さん

が居たという。

例え地震で亡くなったとしても、ご自分は

世直しのために亡くなったのだとお考えに

なれば、救われるかもしれない。

でも、戦争はそうは行かない。敵という

存在があると、自分の一生の中の反省する

ことや感謝することについて、冷静にな

れず反省はおろか  あの貴重な感謝も何処か

に押しやられてしまう時がある。

あの世は感謝1本でどんな小さな山でも

どんな大きな谷でも乗り越えられるのに。

ところが、原爆は、もっと大変で、そこに

染み着いてしまって、ご自分が亡くなって

居ることも、その存在も分からずにおられる。

せんだって、原爆で失くなられた方々が来

られた時は正直、息子の助けがなかったら

私もあの方達と、一緒に死ぬところだった今、考えても、その無念さを思うと お気の

毒で涙が出てくる。

宇宙人達が「原爆はほんまあかん」と言わ

れるとおりだった。

「なんせ宇宙規模であかんねんから」と

いうようなことらしい。

この事は  宇宙人  バシャールの本に書かれていた。

原爆で亡くなる位なら、戦争で亡くなる方

がまし。

でも、戦争で亡くなるなら、地震の方が

断然良い。

でも、事故や地震で亡くなるなら病気が

絶対良い。

そりゃ、老衰で眠るようにっていう選択も

有り。

勿論、死というものは、とても、個人的な

こと。どんな亡くなりかたをしようと、国

の為にと純粋に思われるならちゃんと

逝かれるべき所へ逝かれる。

阪神大震災の時、一家のお父さんが、何故

か中腰で、その肩に家の梁を、載せて亡く

なられ、ご家族はおかげで救われたことが

あったという。

こうしたことは、結構あったそう。

こんなお父さんはそれはそれは高く登って

逝かれると思う。

こんなお父さんがあちらの世界から守って

くれるなら家族は万全です。

戦争、地震、病気 全て同じでは、勿論ない。

でも、どんな亡くなり方をしたいかを、今

から決めておいて、神様に予約を入れて

置くのもこれなかなか良いかもしれません。

その為には、大なり小なりの徳を積む必要

はあるかもしれません。

これって神様に叱られるようなこと書いて

います?

んー、後になって、訂正するかしれません

が、今は正直そう思っています。

何事も本来  神様に、おまかせ   が一番

が正解。

そこを曲げて、お願い出来ません?

とこれは私が神様に聞く独り言です。