私がとらわれていた、しなきゃ

夫孝行は、しなきゃいけない。

身体の弱い人も大事に、しなきゃいけない。

この結果、起きた事は、植木に水を遣り過

ぎたように、根腐れを起こした。

私は、過去世でも、この人に、尽くし過ぎた

 

一体、何度やれば、判るのか!

私よ!

過去世に優しい妻を持たなかった反動か?

無償の愛、とやらに憧れたのか?

 

本人が健康に成りたければ、最初に少し

手を貸せば、後は自分で出来た筈。

 

幼少期に、愛情を得られなかったのは、

案外、彼に酷薄なところがあつたから。

私は私なりに尽くしたつもり。

でも、愛情への尽きせぬ執着は止まず、

亡くなる瞬間にさえ、愛情を浮け取る事に

終始した。

 

「えーかげんにせえよ!(低音で)」と

言えなきゃ!

 

同じことは、母にもいえた。

 

結局、これが、わたしの今生のテーマと思う。

 

例えば、これは、亡くなった人にも言える

今度、荒神さんに、一緒に行こうと思って

いる方々。

都賀川に居られるのが、その方達の選択な

らば、それでいい。

荒神さんに伺いたければ、一瞬でご自分で

行ける筈。

 

私は、いつもお節介。

勿論、何事も、先達のあらまほしきことで

はあるだろうけど。

 

つまり、私に、余裕があればか?

ん?すり替えた?

優先順位を考えるべきなのか?

 

つまりここだ、わたしが常に朝夕

「世の為、人の為に尽くさしめたまえと

畏み畏みも申す」

を唱えている限りここへ帰ってくる。

 

ある程度はしようがない。

でも、泥棒に追い銭までするのはあかん。

 

難しいなあ。

 

今週のお題は難しすぎる。

えーかげんにしてや!

えーかげんに、するのはわたしかも。