もし、介護施設で、運動会があったなら、

母は、スターだったろうと思う。

 

誰よりも早く走れたろうし、跳び箱は大得意。

長距離走だけは苦手だと、言っていた。

 

自己顕示欲は、半端なく、筋力もとても

強く、私は手もなく転がされた事もあった

施設の自動ドアを勝手に、開けようとした

母を止めようと出した手は振り払われ、

私は見事に、フロアを1.5メートル、コロコロ

と。

 

母は、生命力も、それなりの知性も、あるようだった。

モラルだけが、抜け落ちたかのような人に

なっていた。

 

施設の非常階段にあった、差しっぱなしの

鍵を手に入れていた。

見つけて、施設の人に渡すと、仰天された。

 

神戸の病院から明石海峡大𣘺を渡っていた、

「徳島に行くんか?」

車窓の景色で、判断していた。

 

出掛ける時、「杖!」という。

渡すと、それを持って歩く。

時に、振り回す。

「ママ、それは護身用じゃない。

衝いて歩くんだよ。」

「ふん、何が悪い」

ひょっとしたら、武器を持って、安心する

そんな心情になっていたのかもしれない。

 

「私は、神さんなんか、恐いことないねんからね。」よく、そう言っていた。

私は、神さんほど、恐いものはないから、

これを聞くと、何時も、不思議でしようが

なかった。

母は、いわゆる、霊感も強く、…の気がする

といって、当たっていることも良くあった。

 

商売をしている時は、それなりに荒神さんも

奉り、お詣りもした。

お墓にも、毎月、欠かさずお詣りをした。

   でも、「私のは、御利益信仰よ。御利益の、何が悪いん?」と言っていた。

 

お詣りも、お祀りも、ただただ、御利益欲しさにしていたものだった。

キレッキレの現世利益の申し子だった。

 

勿論、信仰の入口は、御利益であり、

誰も「金運」と聞くと、ん?となる。

人には、どうしようもないことがあって

この世的に、どれだけ、努力しても、叶わぬ

事がある。

だから、時に神仏に頼りもし、努力もして

生きて行く。

 

でも、それは、一つの過程であって、最終的には、「我が為にも、世のため人のために尽くさしめたまえ」となるはず。

そして、人間、神の子、完全円満になる。

我も人、人も我と。

それが、母のように、我が為にだけ、世も人も存在するのでは、本も末も転倒している。

 

彼女は一体、何を間違ったのか?

数千年前の過去世では、強盗をしていたような人だから、今生は警察のお世話にもならず

生きることが出来た。

上等?

あー、最晩年によく派出所で、警察の方々と

喧嘩をしていた。

 

でも、あんな風に、「神さんなんか」と言ったのは本当は、恐かったのかもしれない。

薄々は気付いていて、敢えて、強がった。

 

彼女も鬼籍に入って、三回忌も済ませた、

このことも、彼女の為に書けると良いな。

 

人に指図されるのは、嫌いだったから、

おためごかしなんか、絶対だめ。

 

今はただ、ただ、黙して、祝詞を奉る。

向こうにいる限り、これが、一番お喜び

いただける筈。