これって、私の地元だけですか?

商店の接客については、関西では当然のように、店員は、買い物のあと

「おおきに」とか「ありがとうございます。」という。

そして、買って貰うための、(愛想)の良さも、忘れない。

でも、長崎では、そうした(商売人気質)が希薄だった気がする。

九州男児というか、男っぽい気性だったのかも、しれない。

 

ドイツもそう。親切に物を言う、なんてなかった。紋切り型の受け答えで、余分なことは

テコでも、言わん!そんな感じだった。

不親切なわけじゃない。

そういう生き方。

だから、値切りにも一切、応じない。

そこは、日本と同じ。

定価は定価。何、値切っとんねん。

って、感じ。

 

パリと京都は、ちょっと似ていて、観光地に

有りがちな、慇懃無礼というか、常に、一見さんしか、相手にしないので、「また、来てね。」感が弱い。

 

シュタイナー村は、全然違う。

なんか日本的。親切で、スイスやドイツにあったのに、紋切り型じゃない。

朝なら朝の挨拶を、夜なら夜の挨拶を観光客

であろうとなかろうとする。

 

手持ちのお金が足りないのに、私が気に

いってしまったブラウスを、「良いよ。それだけで。だって、それ、素敵だものね。」

こんなこと、日本でも言われたことない。

 

東京は、どこか田舎感がある。

関西は、古くからの都会で、どこか、こすっ辛い。

東京の人は、田舎を持つ人が多い。

どこか、朴訥。

それと、話し出すと長い。

でも、落ちがないのには、参る。

聞いていて、こっちが話の迷子になりそう。

 

信州の人は、もっと、純粋に朴訥だった。

暖かい。

 

生まれが関西の私は、やっぱり、商売人には

ちゃんと商売人をして欲しい。

少しぐらい、こすっ辛くても、そこを笑いで

すっ飛ばす、ウィットも是非もの。

 

昔、母が難しかった頃、精神科の先生に話を

聞いて貰った。

「貴方は、泣いたり、怒ったりしていない。だから、お腹が痛くなる。」

「でも、笑うのは、良く笑ってますよ。

それと、笑いをとることにも結構、必死」

先生には、受けなかった。

 

あかんかあ。

先生は、ずーっと難しいお顔だった。

この人から、笑いを取るには、もっとグレード上げんと。

その後も、結局、一度も笑わせられなかった

この日の、セッションは失敗だった。

 

えっ?これって、先生がそう思わないと

いけなかったんじゃ⁉️

「精神科のカウンセリングは、芸人のネタミセとは、違います❗️」かな?

 

勿論、そうだけど、私が振っとんやから、

少しは受けて、弾ましてくれてもよかったん違う?

少しは共感もしてほしかったし。

 

エンカウンター系のカウンセリングだっら

なあ!(エンカウンター系とは、非指示系のカウンセリングのやり方)

これは、ほんの聞きかじり。

私が間違っているかも知れない。

 

リアクションと言うものは、土地によっても

職業によっても、実に様々。

 

私は、嘘でも、お愛想をして、薄くても

笑いを取って、次に繋げる、魂胆まるだしの、関西人の世知辛さを愛する。

 

こんなのって、関西だけですか?

 

今週のお題のはるか向こうにあると いつも思うのは、今の世相や、個人の生き辛さ、

生きることの楽しさ、がある。

 

例えば、無愛想なのは、その社会に、信頼が在るゆえかもしれない。

会話が必要だと思うのは、不安が在る。

 

自分は自己一致していると思い込んでいた。

案外、不安も持っているのかもしれない。