やったことがあるアルバイト

メインは、家庭教師だった。

覚えているだけで、五人。

英語だけ、40日間一緒に居た彼女以外

そんなに、お役に立てた気がしなかった。

 

英語が通知表が1で、しかも、チックがある

というような必然性が、どの子にも感じられた訳ではなかった。

 

なにより違うのは、上記の方からはお金を

戴いていない。

 

一体何が、そんなに、違うかったんだろう?

 

そっか、お金を戴いていないということは

アルバイトじゃなかった。

 

ただ、ただ、何とかしたい一心。

これだった。

 

もし、家庭教師に来てもらい、或いは、行って、本当に成績を、上げないといけない特別な理由があれば、ひょっとしたら何か効果のある方法を編み出したかも知れない。

 

でも、どの親御さんも「なんとなく」感が

強かった。

 

だから、こちらとしても、「なんとなく」になったのか?

 

あるお子さんは、五島列島から越してきて

二年ぐらい経っていた。

彼は言う「五島列島におった頃は、よかったあ。靴も履かんで良かったし、かあちゃんも、こんな勉強、勉強て言いよらんかった」

「島に、帰りたかあ!」

私だって、田舎に憧れて長崎にいったのだから、共感しきりだった。

 

ちょうどその時、神戸から神戸のピカ一美味しいお菓子が沢山送られてきた。

「一緒に食べよう!」というと、

「うんにゃ、よか、先生、嬉しかろ❗️

先生、一人で食べんね。うったちゃ(僕たちは)、食べんで、よか。」

 

その時、こんな良い子に、教えることなんか

なにも無い。と思った。

 

お母さんにこの時のことをいうと

「先生、それじゃあ、いけんと。

やっぱ、勉強ば、しきらんと。(出来ないと)」と返ってきた。

 

心の中では、島に帰りたいこの子に

強く共感したし、勉強もほちぼちで良いやん

と思った。

一方で、長崎市内に来れば、勉強に重きを

置かざるを得ないお母さんの気持ちも少し

分かった気がした。

 

それまでは、ただ、なんとなく、潰していた

時間だったけれど、ちょっと、力を入れたく

なった。

 

彼はこうも言う「お腹が、空けば海に行くか、ちょっとした成りものも、幾らでも有ったと。長崎じゃ、それもない。」

どうやら、村の子供達の、ちょっとした盗み食いは、黙認されていたのかも知れない。

 

 

「えっほんまかいな!それ良いやん!」と思うけれど、同意してちゃ商売あがったり、

「でも、長崎には、美味しい物もたくさん

あるでしょ?」

 

「でも、こっちに来たら、かあちゃんも、

働くようになって、おもしろんなか。」

「確かに。それは、辛い。」

 

残念だけど、彼の言う事の一つとして、

明解に、納得もさせられず勉強の、必然性と

その豊かな生活を失う意味について、説き伏せることなど、到底、できなかった。

 

あの花見屋のあられと、ユーハイムのバームクーヘンを前にして、「先生、一人で食べんね。」と言った、優しさだけが、私の胸の中

に、断固として、刻まれた。

 

今週のお題  やったことのあるアルバイト

で私が知ったのは、豊かな自然と、暖かい島の心が産み出すものが 豊穣の人創りかもしれないという事だった。