苦手だったもの

私は、人の、怪我、事故は苦手だった。

私は、当時、脚の小指の爪が殆どなかった。

つまり、腎経が弱かった。

勢い、不安を感じ易く、怖がりだったことになる。

 

今は、脚揉みのおかげで、どの指にも立派な

爪がある。

 

ところで、教職についた時、体育だったので

保健の先生から、留守中の鍵を預かることが多かった。

 

保健室のドアには、何かあれば、私に頼れと

書かれてある。

 

あれほど怖かった、怪我、事故があれば、飛んで行くように なった。

自分でも、不思議だった。

職業とはこういうものか!と。

 

その頃、脚揉みを始めたばかりでも、保健室にくる生徒の、脚を揉むと、腹痛や、歯痛は治まって、「はい、治ったら、教室行きよ!」と言ったことも、あった。

 

子どもは 心が綺麗なので、よく効くらしい。

先生方で、超お疲れの方の脚を揉むこともあった。

でも、翌日、熱が出ると、不興を買った。

 

私に言わせると、疲れが溜まっていたのだから、当然の結果だった。

でも、「あかん、彼女の脚揉みは、熱になる。」

 

なんて、失礼な。

そこまで、ケアせず、酷使した貴方のせいではないか!

 

でも、これのお陰で、先生方の脚揉みをする機会は、殆どなかったので、助かったとも言える。

 

私は、何かと、いっちょ噛み(お節介焼き)の

癖があったのに、このことは、本当に、救われた。

 

教職を離れると、こうしたことは当然なくなる。

ただ、お母さんというのは、これまた、看護師、治療師をすることがある。

びっくりするほど身体の弱い夫をもっても

同じ。

 

以前にも、書いているけど、私は極端に低身長だから、少彦名系の人間らしい。

 

私の運命の中に、治療ってのも、少しはあったかも。

ある友人が、医者を選ぶなら、背の低い人を、と言っていた。

ほんとかしら?

 

私の場合、一番の患者は自分だから、真剣に成らざるを得ない。

ひっきりなしに起こる腹痛、倦怠感、腰痛。

 

そこで、脚揉み、野口整体、呪い(まじない)を駆使して

なんとか乗り越えてきた。

 

昨日、あれだけ、完璧に修復してくれた、(雷で)のに。

今日、出雲大社さんに、詣って、輪を掛けたように元気の筈が、死んだ。

 

もう、なんで!

で神前に座り、浄め詣りをした。

一時間位。その場で寝た。

 

だって、しようがない、ウクライナのことは

忘れていた。

自分の世話にかまけていた。

 

このことは、毎日すればいいと、前に言った

筈。と言われた。

 

今週のお題は、私のメインテーマだった。