昔、山の手に住んでいた頃

昔、山の手に住んでいた。

とても新鮮な魚屋があって、母は贔屓にしていた。

その店は寿司屋さんもしていた。

「お宅のお寿司なら、美味しいでしょうね。」

母が言った。

 

「まあ、この土地でっさかい、よく注文

してくれはるお客さんも、おってでっせ。

けど、そんなお客さんは、何代もこの土地には、いやはらしまへん。

滅多に、うちなんか呼ばはらへんお宅は

何代も、此処に、おってでっせ。」

 

名主の跡は芋畑。と言うそう。

 

そういえば、超有名な会社の社長の家もあった。

まあ、ケチで、ドケチで、有名だった。

ケチ本と呼ばれていた。

使用人が、襖をサッと開けると、「建具が

すり減る。」と叱られたそう。

今は、もっとお金持ち。

 

子供にとって、この土地が住みやすかったかというと、そうじゃない。

教育熱心な土地と言われてはいた。

小学生の時は、友達は皆殆どお稽古と塾で

日が埋まっている。

私も週4日は埋まっていて、残りの日は、家で、少しゆっくりしたい。

結局、友達遊びをしたことが無い。

最低だった。

中学生時代も勉強が出来ないと、バカにされそう。

だから、恐怖感が、勉強の後押しをした。

 

というわけで、どうしても大学に行って、遊びたかった。

でも、大学生になっても、もう、無邪気な遊びなど、どこにも転がってはいなかった。

 

高級住宅地と言われていても、どこか冷たい

印象だった。

 

高校時代は芦屋だった。冷たいどころか、もうお高くそびえ立った土地。

ここでは、安いものは売れぬ、と。

高いものから売れていくそう。

 

私は方角も悪かったので、辛かった。

 

私が子育てをするなら、どちらも決して選ばない。

 

芋畑が広がるような長閑な土地。

しかも、四神相応のが、良い。

 

仮にそこが、名主の跡であっても、暖かい

日だまりのような土地なら良い。

 

今週のお題の「芋」と言う言葉は「田舎」を表す言葉でもある。

私は後に、教員になって、田園が広がる土地に、赴任した。

 

でも、今の子供たちは、夏休みにも屋外には居らず、家でゲームをしている。

 

勿体ないなあ、と思っていた。