人生、最大のピンチ

数年前、母を介護していた。
母は、境界型人格障害だった。
よく、家の、電化製品を壊した。
冷蔵庫のコンセントをペンチで切ったり、私が持っていた、モン族の素晴らしい全刺繍の民族衣装をこなごなに、切った。
石油ファンヒーターの灯油タンクにお茶を入れて何度も、だめにした。御飯を作って持って行くと、[こんなん、いらん]と、ひっくり返した。
こんなときは、作り直して、持っていっても、決して、食べてくれることはない。
彼女は お寿司が好きだったので、お寿司にすると、何度かは、食べてくれたものの、そのうち、これも、投げている。でも、掃除はしやすい。

私が、食べたこともない上等のを、持って行くと!流石に、ありがとう!と受け取った。
あー、やっと、食べてくれると安心すると、そうはいかない。翌日、流しに、ぶちまけている。
そんな日に、健診がある。
お医者さんは、私が、食べさせていないとみて、
ものすごい顔で、睨み付ける。
違うがな。でも、忙しいお医者さんは、それ以上は、何も言わない。
その日、彼女は、特に、機嫌が悪かった。
私は、鋳鉄製の小鍋で目の上を、殴られた。
それは、年末で、まるで、お岩さんのようにお正月を過ごした。
でも、よかった、もう少し下だったら、目の玉飛び出しとるがな!
でも、このことが、ケアマネさんに知れて、入所することになった。
このことが、なければ、それからも、怖い夜を過ごしていたと想う。
彼女は、タクシーが好きで、よく、市内を走り回って、帰宅した。[払って‼️]という。
五万円払ったこともある。
当然、私と息子は怒る。
これを、近所の人が、聴いていた。
そして、地域で、私が、母を、虐待していると、喧伝した。
このことを姉に言うと、虐待されとるのは、あんたやがな!という。
でも、家の中のことは、本当は、誰も知らない。それから!10年ぐらい、地域では、いつも、いろんな人から、にらみ付けられていた。
とにかく、長くて辛い10年だった。
でも、いろんなことがある度に、お伊勢さん、宝塚の荒神さん、六甲の八幡さんに、日参した。
その時に、神様から、伺うのは、全然違う世界だった。
神前に額づいて、突然起こる、まったき光の中にありてある感覚や、
陶然となる浮遊感、ここは、絶対この世じゃない、幸福感。
多分、辛いことは、私たちを、相当に、浄めてくれるらしい。でも、家に帰ってくると、同じことが 又起きる理由はどこに?。
マルクスだったかしら?
宗教は、大衆の、麻薬と、云ったのは?
あの方も、この、浮遊感や、陶酔を体感なさっておられたのではないかしら?
違うか?
その母も鬼籍に、入って一年半になる。
彼女とのことが、なかったら、こんなに、祈り込んだだろうか?
ここで、彼女に、感謝が、できたら、かっこよかろうけれど、そうはいかない。
今、考えても、腹が立つ。
向こうでは、大変なはず、彼女のような人ばかりが、いるところに、いるらしい。
でも、とりあえず、盂蘭盆経だけは、あげまっさ!