病院で、出逢う、見えない人達

出雲さんで、運命転換をしてもらうまで、

いつもの  腹痛やぎっくり腰で、よく入院した。

ある時、病室で「バシャール」を読んでいた。

すると、たくさんの見えない人達が、集まって来た。

文中に 「ですから、こうした、亡くなったことが、解らないひとや、それを認めないひとが、沢山いることで、こちらも、困ったことになります。」

といった内容だったと思う。

我が家には、近しい方で、亡くなったのに、向こうの世界へ、いけない方が、時々、来られることがある。

そういうかたは、決まって、天井の、隅に、じっとしておられる。

だから、これを読んだとき、そうなんだよね。そんな気持ちだった。

でも、私の後ろから 読んでいた人達が、「えっ?なんてなんて、ちょっとそこ もう一回。」と言われる。

「私は、もう読んだのに。わかった、じゃあ、私、トイレにいってくるね。」

と言って、そのページを開けて、出た。

帰ってくると、ガラーンとして、誰も居ない。それはそれは沢山の人だった。

「わしらも、判ったから。行くとこいくわ。」そう言って、逝かれた。

納得して、向こうの世界に、行かれたようだった。

母も、元夫も、一年近く、死後も病院に居たので、こうしたことは、よく、あるのかもしれない。

元夫は一年、母は十年もの寿命を、残していた。どちらも、周りのひとから、えらい急だったね。と言われた。

故人についてや、病状について、なにも知らなくても、なんか早い、そう思われるのが

不思議だった。

本人が、得心が行くまで、闘病したかったようだった。

本当なら、普通に、お葬式をしたなら、納得

しても、よかったはず。

でも、どちらも、極端に、思いの強いひとだったから、致し方なかったのかも知れない。